P沼的プログラミング

PnumaSONの雑記

ゲーム業界はパワハラ体質なのか?

 

 

おことわり

 タイトルにはどこぞの週刊誌かの如くあのように書いているものの、ここでゲーム業界がパワハラ体質かどうかの結論を書くことはしない。結局のところパワハラ問題はあくまで個々の会社ごとの問題であって、それを業界と言って安直に広げてしまえば健全な会社が不利益をこうむることになるためである。

 そのためここでは単純にどういった傾向があるとパワハラに向かうのか、あるいはゲーム業界がパワハラ業界なのかと現在言われている根源的な原因について話していく。

 今現在進行形でパワハラ的であると言われているのはPERACONの件であるが、今回はあまりそれには触れない。それについては良質な記事やまとめがすでに上がっているからである。

 どちらかといえば社会と業界の歴史的背景に着目していく形になる。とはいえ私は業界歴が長いわけではないので、聞き伝えられたものや推測を多分に含む。正直適当に読んでくれて構わない。

 この記事は極めて後ろ向きな内容が含まれているが、あくまで前向きな解決を求めるために現状の理解をある程度正確にするためのものであり、極めて個人的な意見であるが、ゲーム開発における社会や人との向き合い方とはどうあるのが好ましいかということを再確認するためのものである。

 過去記事を読んでいただければわかるように、私もまた温厚な人間ではなく、極めて口が悪いタイプの人間であるが、以下の発言はすべて愛のある罵倒なのできっと問題ないのでしょう。

昔のゲーム業界

 ゲーム開発初期の時代、ゲームはほんの少人数の変態的能力者たちによって作成された。いわゆる少数精鋭によってこれがなされていた。 ゲーム作成は一種のアートであり、職人気質の強い職業であった。職人気質と言えば「俺の背中を見て覚えろ」のアレである。新人はまさに弟子であって、一子相伝の技術継承が行われる。弟子は技術を教えてもらったうえに給料まで貰えるなんて何と恵まれていることか。某スクールでは金を払って本場の仕事を体験してゲーム作らせていただいていたのに。罵詈雑言を飛ばされようがぶん殴られようが、愛のあるしごきである。彼しか持っていない技術を伝えていただいているのだから。僕らは彼らが技術的にすごい人なのを知っているし、それゆえ敬意をもって接する。与えられているものと比べればそのようなこと些細なことである。師匠はただ普段自分のしている仕事の一部をするよう弟子に"命令”すればよい。最悪彼がいなくなってもそれは師匠がやるだけの話である。

 もちろんパワハラなんて存在しないし、愛のある指導しかないので問題ないのである。ただこれは相互の信頼関係のうえに成り立っており、どのような間柄でも行えるというようなものではなかった。

現在のゲーム業界

 みなさんはスタッフロールを見たことがあるだろうか。あのクソ長いあれである。現在のゲーム――主にコンシューマゲームのことであるが――は想像を絶するほどの大人数で開発されている。メインのプログラマだけで30人、デザイナーだけで100人なんてのは結構ざらにある。ゲーム業界は過去の職人の集まった”集団”から”会社”になったのだ。

 ゲームの規模や必要な技術の増大によって、それぞれの技術が多様化し、誰のおかげでこのゲームが完成したのかということが明確に分かりにくくなった。そしてなにより、人数の増大によって適切なコミュニケーション能力が求められるようになった。数人で作っていたころは多少齟齬があってもリカバリは可能である。そもそも各人がほとんど全領域を理解しているので、なんでわからないんだ、バカなのかと言いながら最悪自分で作ればいい。ところが今はそうはいかない。全領域をカバーしているような人材はまずいない。リードプログラマが知らない領域を一兵卒のプログラマが行っていることは当然ながら、なんならディレクターの知らない知識を新人が知っているなんこともざらにある。そうなるとお互い自分の知らない技術を"お願い"することになる。そういった意味でお互いは極めて対等に近い立場である。もし"命令"などしようものならお終いである。仮にそれが伝説のプロデューサだったとしてもである。彼一人ではもはや何も作れないのだから。

 ゲームは明確に、”彼”のゲームから”彼ら”のゲームになった。”彼ら”というのは代えの利く有象無象という意味ではなく、一人ひとり必要な人材によって初めて完成するものとなったということである。

 そういうわけで現在のゲーム業界ではコミュニケーション能力は必須能力である。いくらすごい案であっても適切に正確にそれが伝わらなければ何の意味もなさない。背中で語っていても出来上がるのはゴミだけであるし、俺の思った通りでないとキレ散らかしても自分では作れないし、誰も作ってくれる人はいない。もし彼が愛なんだと言って罵倒し、退職者が出たとしてもその責任を彼は取れない。パワハラするような人材はどの階級、役職であっても地雷でしかない。彼の持っている能力はどの役職だとしてもほぼ同等の100分の1の能力でしかないからだ。

 ディレクタなら偉いなどということはなく、ディレクタはディレクタに必要な能力と役割を与えられたにすぎない。過去にはディレクタやプロデューサと言えばプログラマやプランナの上位職という見方が強かった。しかし実際にはプランナに必要な能力とプロデューサ等に必要な能力には乖離があり、プランナとしての優秀さとはほとんど関係がないという見方も少なくない。なんなら最近は新人を直接プロデューサ職の訓練のために当てるということもある。ゲーム全体の完成度への影響度合いは違えど能力は100分の1である。ただその役割を与えられたにすぎない。ゲームへの影響度ゆえにその能力は重宝されるであろうし、給料が多く与えられるのもいいだろう。しかしそれでも他の99がなければ意味をなさない。

 そもそもプロデューサやディレクタはいつでも1人でプログラマはたくさんいるからといって能力的にプログラマより貴重であるのかという点については実のところ私には良く分からない。なぜなら大抵の場合はよっぽどのことがない限り同じプロデューサやディレクタが続投していて入れ替わることが少ないからだ。実際ぽんぽこ代えてみたら簡単に代えが利くような仕事かもしれない。ただ絶対数が少ないというだけで特殊能力なのかどうかすら分からないのだ。会社によっては熟練のリードプログラマとリードプランナが陣頭指揮を執っていて、ディレクタやプロデューサはお飾りなんていう例もなくはないのである。

何が変わったのか

 ゲーム会社は言ってみればサークルのような集まりから企業になった。企業には企業の責任があるし、果たすべき義務もある。いつまでもサークル気分で運営するわけにはいかない。そして社会は紛れもなくパワハラや時間外労働に対して風当たりが強くなった。それにも対応しないといけない。社会が変わり法律が変われば犯罪も変わる。煽り運転だって犯罪になる。俺は変わらず俺のやり方でやるでは通用しない。自分が変わらなくても企業や社会は変わっているのだから。

 それでも、もし昔ながらのそれがやりたいならサークルをやればいい。パワハラ発言をやめたくないから企業を拡大したくないという意見を会社が聞いてくれるならの話だが。

パワハラをなくせないのか

 ご存知の通り、現在のゲーム業界には過去の伝説級クリエイタが今も在籍している。比較的新しい業界であるため今もなお伝説が生き続けている。彼らの過去の功績には目を見張るばかりである。現在のそのゲーム会社、ゲーム業界が存在するのは紛れもなくその人たちのおかげである。会社や業界団体は彼らを無下に扱うことはできない。仮にそれが現在足かせになっていたとしてもである。まさかないとは思うが、仮に伝説級がパワハラ発言をしている場合に物言いができる人がいるとすればそれは同様に伝説級の人だけである。

 もちろん存在しないパワハラはなくせない。ゲーム業界にはパワハラなんてまさかあるまいので、この項目の回答は真である。

終わりに

 この論調でモノを書くと、だから老害はみたいな結論に行きつきがちであるがそういう話ではない。もともと害があったというより、社会や企業の変化で害と判断されるようになったのであり、それは周囲の変化によっていつでもどこでも誰にでも訪れる可能性があるということだ。だから私たちのすることはといえば熟練者だろうが若手だろうが、現代社会に適応してパワハラはするなという話である。若者であっても社会に適応していなのならバイトテロに対する損害賠償のように厳しい一撃を食らうことになる。

 私の前職では比較的若手のパワハラ社員が熟練パワハラ社員を訴えるというような事例が発生したが*1パワハラ環境が恒常的になっていると自分がパワハラしていることすら分からなくなるようだ。パワハラの風土は間違いなく伝染する。若者がことあるごとにファ〇クと呟く環境は健全ではない。すでに根付いてしまった環境は自然に変わることはなく、意識的に改革しなければいけない。

  パワハラは良くないのではあるが、暴言を吐きたくなる気持ちはぶっちゃけすごく良く分かる。というのはこの業界は仕事に対してかなり真摯に向き合っている人が多いからだ。もし彼らが適当な気持ちでモノを作っていたのであれば、怒るなんてことはしないだろうし、暴言にも繋がらないだろう*2。仕事に真摯なこと自体は大変すばらしいことだと私は思っている。とはいえ、怒り方を変えなければいけない。怒らないのではなく*3適切な形で怒りを表現するよう心掛けねばならない。

 ゲーム業界がパワハラ体質であるかどうかは知らないし、それは会社ごとに違う話であろうが、少なくとも社会はパワハラを容認していない。仮に伝説級の人物がパワハラ体質だったとして、私たちは伝説級には気軽に物言いをすることはできないが、社会の風潮と法律を盾にして行動することはできる。パワハラの存在が本当に会社あるいは業界の利益になっているのか今一度考えてほしい。そしてその如何に問わずとも法律は明確にパワハラではない人たちの味方をしている。

ついでに

 社会はパワハラがなくそうとしている。それはパワハラをしている"人間"をなくすことではなく、パワハラという"行為"をなくそうという話である。必ずしも個人攻撃は必要ではないし、行為がなくなれば誰も失うことなく丸く収まる話である。

 パワハラに正当性はない。少なくとも現代社会はそれを認めていない。それを行使しようというのならもうそれは反社会的勢力なのかもしれない。

 しかしパワハラによる利益を研究なり論文なりで証明し、社会の過ちを正そうとしたり、パワハラの正当性を訴えて社会活動を行うというのであれば私はそれを止めようとは思わない。むしろ少し応援するまである。実のところ昨今のなんでもパワハラと言ったもん勝ちみたいな風潮もまた私はそれほど良いとは思っていないからである*4。適切に不必要なパワハラをなくすことができればよいと思う次第である。*5

 

ゲーム業界を志そうという人に

 パワハラ関係の事例が出ていろいろと不安に思うかもしれないが、少なくとも社会はパワハラではない君の味方だ。必要以上にそれを恐れる必要はない。まさかないとは思うが、上記のような理由でパワハラが根付いているのだとしたら、比較的若いゲーム会社であればそのようなことは少ないだろう*6。 ゲーム業界に限らず大抵の場合は入ってみないと分からない。みんな大好きな他業種の超大手企業でもパワハラは横行しているかもしれない。傾向の度合いはあれど、どこでも誰にでもこういったことは起こりうるのだから。

 少なくとも私はこういった件によってゲーム業界を志す人が挫折するのを快く思わないし、そう思っているクリエイタは他にもたくさんいるだろう。伝説級クリエイタの中には素晴らしい人格者のかたも少なくない。むしろ多数派はそっちのほうだろう。パワハラ気質のある人間を一人見かける会社にはそういう文化なのでたいてい複数人いるが、いない会社には一人もいない。それはそういう行為がなくなるように努めているからであり、現代社会に適応しようとしている多くの会社ではそうである。今回の件での各社の動きを見て判断するとよいかもしれない。ある意味今回の件は君たちの情報収集に都合がいい事件だったとも言えるだろう。しっかり見て決めてもらえると良いと思っている。そして良い環境で良いゲームを作ってもらえればと願っている。

 

 

*1:訴えたからと言って本当にパワハラがあったのかは分からないなあ

*2:愉快犯やただ自尊心を満たすためのようなものを除けば

*3:もちろんできればそれがいいのかもしれないが

*4:実際にそれによって不利益を被った人を知っているというのもある。あくまで私の感性では問題がない人ということではあるが

*5:PERACONの罵倒はなんの信頼関係もない間柄で行われた何の情報量もない完全に不必要なパワハラ発言だと思っているが

*6:そういうのを聞いたことがないわけではないが