P沼的プログラミング

PnumaSONの雑記

森会長の女性差別発言を俺くらいは多少擁護しようと思う

はじめに

「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」という森喜朗会長の発言が話題になっている。
タイトルに擁護するとは書いたものの、この発言が失言であることは疑いようもないし、失言ではないというつもりもない。
失言だということを認めたうえで、周囲の熱と森会長の認識に差があるのはなぜかということを推察、解説してその溝を埋めようということでこの記事を書くことにした。
一般のメディアは一切擁護することはないだろうが、それは擁護できる点がまるでないということを意味しているわけではない。
単純に少しでも擁護しようものなら差別主義者のレッテルを貼られかねないため、保身を優先して擁護できる範囲のことですら擁護していないというだけのことだ。
ツイッターでも少し書いたがこちらに改めて記載したのは、部分的に切り取られて攻撃されるのは好ましくないと思ったためだ。
こういったセンシティブな内容を少しでも擁護すると飛び火して炎上するケースがあるが、十分な言葉を重ねればある程度は理解が得られるものと思っている。

失言の根底

「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」という言葉の問題部分は主語の大きさだ。
【女性】という言葉は非常に大きな集団を指している。批難対象になる対象が大きければ大きいほど誤解を生みやすく、危険な言葉になる。
例えば「日本人は短足だ」と言われたとして、【日本人】のうちのたかだか1パーセントがそれに反応して怒っただけでも100万人くらいが激怒している状態になってしまう。
【日本人】でもそれだけの人間が反応するのだから【女性】などといったらそれはそれは大変大きなムーブメントになるだろう。

ではどうすれば良かったのだろうか。
例えば幅を狭めてみるとしよう。【女性理事】としてみたらどうだろうか。
【女性】そのものよりは狭まったような雰囲気があるが、おそらく炎上するだろう。
では個人名はどうだろうか。これは性差別でもないし、安全に違いない。
もちろんそんなことはなく、個人攻撃だといって問題になっただろう。
私が好意的に解釈したところ、森会長は個人攻撃はよくないということで、むしろ個人に考慮した結果、ふわっとしたニュアンスとして「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」という言い方をしたのではないだろうか。
ふわっと指摘して己で改善してもらえればそれが平和的でよいという配慮の産物だったと考えてみるのはどうだろうか。

何に対する謝罪であったか

失言であったことは間違いない事ではあるが、部分的には前述のように誤解である可能性もある。
森会長は「私の話はそこまで細かく外国行って説明するわけにもいきませんからね」といった発言もしている。
森会長の解釈では、これは不幸な認識の齟齬であって十分な説明をすれば理解が得られると考えていると捉えることができる。
そのため失言したという事実に対して謝罪と撤回をしているものの、発言の根底にある内容に関しては問題があると思っていないため、いわゆる【逆ギレ会見】と言われているような状態になってしまったと推察できる。
ではその発言の根底は果たして炎上や批難されるに値するようなものだったかどうか考えていこうと思う。

女性理事がいると会議が長引くのか

これは実際に森会長の目の前で行われていたことであるため、現実問題長引いていたのだと考えるのが自然だろう。
森会長は「女性だけ増やすということになると、結局、話が長くなりますよ」と述べたと認めており、この発言の正当性はどの程度のものかということを考えてみる必要がある。
つまり、特定の個人である女性理事(おそらく複数人)が長引かせているのは事実だとしても、【女性理事】というくくりが適切であったかどうかという点だ。
ここで注目すべき点は「女性は競争意識が強いから、誰か一人発言すると自分も言わないといけないと思うのだろう」という森会長の言葉である。
これまで男性社会として構築されていた日本において、女性が高い地位に就くというのは困難な状況であったことは説明する必要もない事だろう。
現在では多少それが緩和されてきたとはいえ、男性と比べればまだまだその席は少なく、過酷な競争を越えなくては立てないということは想像するに難くないことだ。
そうなるともちろん、森会長が述べているように、競争意識が強い人がその地位をもぎとることになったと考えるのが自然だ。
前述の発言には森会長の誤解があり、【女性は競争意識が強い】のではなく、【競争意識の強い女性しか高い地位にいない】のであって、女性は競争意識が高いと森会長が感じてしまったというだけのことだと考えられる。
この推察の妥当性はその後の会見で、森会長が「 基本的な認識として、会長は女性が話が長いと思っているのか」という質問に対し、「最近女性の話聞かないからあんまりわかりません」と回答していることからも見受けられる。
この言葉から、森会長の【女性】という言葉は我々の考えるところの【高い地位に立てるだけの競争意識の強い女性】という言葉に置き換えてみると語弊なく内容を受け入れられるかもしれない。
これはサンプル数に偏りがあったため起きてしまった発言だと捉えることができるだろう。
では高い地位にいる女性は競争意識が強いのは真だとして、競争意識が強い人は話が長いのかということを考えてみよう。

競争意識が強いと会議は長引くのか

実力を証明して地位を得た人がなぜ地位についているのかと言われれば、当然実力を証明したからである。
実力を証明できなければその人に居場所はないのである。
競争社会を勝ち抜いてきた人々は自分の有用性を証明し続ける必要がある。
証明する方法とはなにかと言われたら発言すること以外にはない。これは非常に分かりやすい話である。

ではついでに男性はなぜ競争意識が弱いのかということにも軽く触れておこう。
家系や縁故、あるいはすでにある過去の実績によって理事となった人々は焦って有用性を証明する必要はない。
ただ家系や縁故であるだけでいいからだ。
日本においては政治家等の地位者が世襲である割合も多く*1、有用性の証明をする必要がないことがしばしばある。
そうなってくるとサンプル数的に競争者である男性の割合が下がるので、もちろんいないわけではないが、【男性】=【競争意識が強い】とはならなくなるのである。

小難しいことを言うのは一度やめて、少し思い浮かべてもらいたい。
小池百合子都知事が10人いる会議と菅義偉首相が10人いる会議のどちらが会議が長引くだろうか。
必要な議論を十分に交わせているかという根本的な問題を無視すれば菅義偉首相が10人の会議のほうが早く終わるだろう。
小池都知事は女性権力者として皆が思い浮かべる代表的な方であり、菅首相は男性権力者の代表的な方だ。
サンプルの平均をうまく取れているかという問題はあるが、十分に共感が得られるのではないだろうか。

まとめ

【女性】という大きな主語を用いたことはまさしく失言であったが、森会長の観測下にある【女性】は、これまでの男系社会の影響を受けた【競争意識の強い女性】であった可能性が高く、競争意識が強いと会議が長引く傾向があると判断でき、必ずしも的外れな発言であったとは考えにくい。
現状の急速な女性の社会進出の結果、女性地位者の性質に偏りが出ているものの、今後自然な女性参画が行われれば、男性と大差ない平均化された女性が地位者に増えてくると考えられる。
そうなったときには森会長のような勘違いもなくなり、こういった不幸な誤解は自然と減少すると考えられる。

理事の選出状況に関する追記

男性理事の多くは政治家や会社役員であるが、女性理事のほとんどはスポーツ選手出だ。(役員名簿)
スポーツ選手出身だからまとまったスマートな議論ができないというとスポーツ選手を馬鹿にしているなどと言われそうだが、そういった発言はそれこそ何十年と社会人をやってきた社会人経験を馬鹿にした発言にすぎない。
どっちが偉いという話をする気は毛頭ないが、議論することに関してはそれを生業にしてきた社会人経験が豊富な人材のほうが得意であり、そういった方々は社内政治にありがちな根回し等、準備を踏まえて会議に臨んでいたことだろう。
また、スポーツ業界はまさに競争社会であり、これは森会長の「競争意識が強い」という発言に見事に合致する。このことが勘違いの原因となった可能性があるだろう。
これは無理やり女性を理事に加えたことによる弊害である。
女性理事がそういった大手会社員の役員から選出されていたのならこうはならなかったのだが、まだ会社役員に女性が多くない状態で無理やり女性を増やそうとした結果、地位のある人と言えば男女平等が比較的進んでいた業界であるスポーツ選手くらいしかなかったためと考えられる。

*1:3、4割程度が世襲議員と言われている。もちろん女性の世襲者がいないわけではないが、長男が継ぐという風習はまだ根強いと感じられる