P沼的プログラミング

PnumaSONの雑記

AI人材におれはなる!

ならない

 

 それはともかく、最近友人と話をして人工知能周りについて共有した話について、ここに残しておこうと思う。普段であれば、ほんとにワロスだぜとお互いに愚痴を吐いてお終いにしていることではあるが、ネット上に吐露することによって、耄碌した人間のように何度も同じ話をしないようにしようという多少前向きな姿勢を見せてみようと思った次第である。

 技術そのものに関することではなく会社の体制の話であり、この記述を読んで得られる技術的知識はほとんどない。

 

 

ディープラーニング」をすることに対する不満

 「ディープラーニング」という技術が現れてから、猫も杓子も「人工知能」や「ディープラーニング」という言葉を利用し、「ディープラーニング」に手を出すようになった。これまで一切機械学習など触れたこともなかった人々が機械学習に手を出すようになった。このこと自体は私はそんなに悪いことだと思っていない。目新しい技術を試用し、有用であるかどうか確かめるということは、どの企業であっても行うことを推奨される行為であるので、むしろそのこと自体はかなり良いことだとさえ思っている。問題はそこにあるわけではなく、会社がディープラーニング及びそれを利用する開発者に求めている内容である。彼らは次のように述べてくる。

 

ディープラーニングを用いて何か成果を上げなさい」

 

 彼らはただ「ディープラーニング」を使いたいのである。

 もっといえば、「このシステムにはディープラーニングが利用されている」といってどや顔したいのである。

 

 一億歩くらい譲って、「ディープラーニング」というワードを使うことによって、

消費者がなんとなくすごいかのように思って購入が促進されるとしても、システムの性能が落ちてしまっては本末転倒なのである。学習処理のためデータ集めに必要な人件費やらなにやらがかさんでしまったら本末転倒なのである。それに仮に売り上げが損害を上回ったとしても私はそんな詐欺みたいな行為の片棒を担ぎたくはないのである。

 

 ここで一度上記の件に関連して私の所属していた研究室の話をしたいと思う。私が所属していた研究室の教授の言葉で、今でも覚えている言葉がある。実際には言葉の末梢は異なるかもしれないが、おおよそ次のようなことである。

 

「ある技術が使いたいからといって研究内容を決めてはいけない、研究したい内容に対して適切な解法となる技術を選ぶべきである」

 

 この言葉は研究室に新規配属された学生が目新しい技術を見つけて、この技術で何かできることはないだろうかと思案していた時に語られたものである。

 新しい技術でなにか新しいことができないかと考えることの何がいけないんだと思うかもしれない。新しい技術によって新たな領域が開拓できないか思いめぐらすことは有益なことである。

 ここで大切なのは、これが語られたバックグラウンドである。語られた相手は新規配属されたばかりの新人であるということである。

 配属されたばかりで様々な技術に対する幅広い知識がない時にある技術を用いた研究を行おうとした場合、最適な問題設定をすることはできないと判断したのである。ある技術でうまくいきそうだと思ったとしても、その人の知らない他の技術ではもっとうまくいくかもしれない。それでは現状の問題に対する改善にはならず、この方法では無理だったという論文が残るのみである。*1

もちろんすべての技術を把握することは困難であるが、メジャーどころと比較するくらいは必ず行わなければならない。技術が先行するとこれを怠る恐れがあったため、一言申したわけである。*2

 

  ここでようやく元の話に戻ってくるが、「ディープラーニング」という技術が現れてから、猫も杓子も「ディープラーニング」を利用し始めたのである。彼らの多く*3機械学習に関してど素人である。彼らが機械学習や分類器を学習しはじめているという話であれば、私の不満はこうはならなかっただろうが、彼らは最適解を選ぶことなく「ディープラーニング」し、「ディープラーニング」せよと指示してくるのである。

 これが偶然機械学習に精通している人あるいは最適解に関する意識がある人に指示がとんだ場合はまだ救いがあるが、そうでない場合は救いようがない。仮に利益を追求せず、新技術について研究せよということであったとしても、過去技術との比較は必須であり、それぞれの得手不得手は理解しておくべきである。

 どういう技術を利用すればよいかについては、例えば次のような記事に記載されている。

https://blogs.sas.com/content/subconsciousmusings/2017/04/12/machine-learning-algorithm-use/

 結局は問題に対し適切な技術を用いましょうというかなり単純な話であるが、そう書くだけでは私のワロスが腹を食い破る可能性があったので、長々と書いたのである。この一行で終わる話が理解できていない会社があることによって私のワロスが膨張したわけではあるが。

人工知能」と呼ぶことに対する不満

 前項が長くなったため、こちらは手短に済ませようと思う。

 過去には「人工知能」とは高度な思考力を持ったシステムに対しての呼称であったが、現在ではルールベースのアルゴリズムすら「人工知能」と呼ぶ人々がいる。過去ではそのような技術に対して「人工知能」などという誇大表現を割り当てることはなかっただろう。これは詐欺である。ワロス

最後に

 まあ、実際のところ他社がどれだけ無駄が多くて、損害を被っていたとしてもそんなに気にする必要はないのだが、日本国内の限られたリソースを無駄に使って浪費するくらいなら私にくれってそういう話である。基本的に日本企業には技術面と待遇面ともにもっと良くなってほしいなと思っているので、みんな頑張って私の明るいハッピー年金生活に協力してほしいと思う次第である。

 ちなみに私は仕事上ではまったく機械学習に関わっていない。対岸の火事を温かく見守る係である。

*1:できないことが分かったという論文にももちろん有用性はあるが、この場合浅はかすぎるという話である

*2:結局その新人は新技術を利用した研究を行った。ちゃんと考慮したうえであれば研究を許可するという教授の判断は一貫しており素晴らしいと思う

*3:実際に多いかどうかは分からないが少なくとも私の周りの大手企業という奴はそうであるように思えた