P沼的プログラミング

PnumaSONの雑記

最近考えたくだらないこと

私は世の中や人々を眺めてはくだらないことを考えることが好きである。どうせなので最近考えたくだらないことを綴っていこうと思う。だいたい大したことは書いてない。

1.東京の広告について

東京にやってきてしばしば思うのは広告が満ちているなという点である。

私が暮らしている県もそこそこ大きい県だと自負しており、それなりには街頭にも電車なにも広告があると思っていたが、東京はその比ではない。

東京がなぜ広告の街と化しているのか、考えてみた。

要はこの2つである。

  1. 広告を出せるような大企業が集まっていること
  2. 広告による利益が見込める

特別なことは何も書いていないので、そりゃそうだろと思うだろうが、雑記なので、そんなものと思ってほしい。

まず1つ目だが、広告を出す余裕がないと出さないというのはいたって自然な流れだ。2つ目だが、広告の値段は、どれだけ利益が見込めそうかという点と、設置及び管理にかかる費用でおそらく計算されている。東京は広告の宝庫と化しているため、設置や管理を行う企業は競合しており、その点では単価が安くなっていると考えられる。とはいえ、もともとの広告費は高いのだが、それはもともと収益が見込める分で対消滅できることを考えれば、妥当である。

では、なぜ東京の広告が利益が見込めるのか考えてみたいと思う。

簡単に思いつくのは人が多いという点だ。だが、単に人口が多ければいいかというとそうではない。

地方の電車内の様子などを見てもらえれば分かると思うが、多くの人は、うなだれているか、スマホをいじっている。正直、スマホが流行ったために、車内広告は相当単価下がったんじゃないかと勝手に思っている。

慣れてしまった人たちにとっては、広告もただの風景であり、得たい情報はスマホで検索したほうが的確に出るのだから、広告をわざわざ見る機会は少ないだろう。

人がいる等だけでは収入にはつながらないわけである。

では何が、東京にはあるのか。観光客や地方からのビジネスマンの類がキーポイントになる。

不慣れなところへ行ったとき、人はできるだけ情報量を増やそうとしてあたりを見回すことが多い。

かくいう私も、電車内で路線図を探してきょろきょろとすることがしばしばあった。

来訪者が多いゆえに、広告業は成り立っているのである。

また、海外から来た人たちはスマホ等のネット機器を用いれないことが多いという点もこの収益を後押ししているだろう。

 

2.東京と地方の人の平衡感覚について

より一層くだらないこと。

どうも、東京の人はつり革を握ってないんじゃないかと思った。しっかりカウントしたわけではないし、そもそも東京民かどうかも怪しいので詳しいことは分からない。

普段から電車を利用することの多い東京の人たちは地方に比べて平衡感覚が高いのではないかという適当な推論による。

研究などで、実際に測ってみて、有意差が出るか試してみるというのは面白いかもしれない。

ここで話が終われば、何の収益にもならないので、さらに踏み込んでみる。

平衡感覚が高いかどうかが何に関わってくるかというと、健康である。

よくテレビなどで出てくる元気なじっちゃばっちゃは平衡感覚が大抵とても良いと言われている。

平衡感覚が高いことが健康に直結し、電車が平衡感覚を養う要因となるのなら、電車の需要を違った方向でアピールしていくことができるだろう。

ちなみに東京近辺は軒並み平均寿命が高い。とはいえ、単純に生活水準が大きな要因になっているということは否定できない。

路線が発達している大阪は寿命が低いので別に関係ないのかもしれない。

誰か研究で調べたらいいと思う。

 

3.新幹線の子供の着席率について

新幹線に乗ったときのことを思い出してほしい。

ふと思ったのだが、どんなに混雑している状態であっても立っている子供を見た記憶がないのではないだろうか。

すごい日本、みんなやさしい。

それで終わってもいいのだが、私はやさしくないので、ここから先がある。

子供が立っていないという状態はおおよそ次の4パターンに分かれる

  1. 普通に空いてて座れる
  2. 指定席を予約している(まあ、100%で予約できないこともあるけど)
  3. 指定席を予約していなかったが、自由席が空いてないので、後払いで座る
  4. 自由席に譲ってもらって座る

指定席のほうは、さらっと歩いて通り抜けるだけのことが多いので詳しいことは分からない。

自由席のほうに注目すると、家族で幼い子供込みで、椅子を向かい合わせて座っている様をしばしば見かける。

1のパターンの場合、まあ、空いてたら座るよね。

4のパターンの場合が今回の問題となる。

パターン4をさらに分解する。

  1. 空いてなかったら指定席のつもりだったが、譲ってもらってしまった。
  2. 時期的に自由席が空いてると思った。
  3. 特になにも考えずに乗った。
  4. そもそも子供がいるし譲ってもらえると思った。

1の場合、分かる。指定席に行こうと思っていても、どうぞどうぞと言われてしまうと、指定席に行くんで大丈夫ですとは言いづらい。

2の場合、1の場合とそんなに変わらない。ただ、読みが甘かっただけ。私もよく読みが誤る。

3の場合、子供が座れないことをまったく考えてないのはどうかと思うが、そういった人もいると思う。

4の場合、内在的にそこそこいると思う。家族5人とかで、椅子向き合わせて座れないことはさすがにおおよそ予想がつくような気がする。

 

困ったときはお互い様などというし、助け合うのはいいと思うが、これの何がいけないのか考えてみる。

一つは指定席の消化率の問題。

指定席はそういうどうしても座らないと困るような人が、座るために用意されている。

そういう人に使ってもらわないと、新幹線の利益の問題にかかわる。

一つは風潮。

譲ってもらって当然という姿勢がよくないし、それを横行させるのもよくない。悪人扱いされるのがいやで、多くの人は少し押されたら譲ってしまうだろう。

こういったことが横行すると、ただでさえ、最近肩身の狭い子供たちが、どこかでしわ寄せを受けて、より一層肩身が狭くなる。

 

この件に限らず、「お互いさま」とはいうものの、多くの場合、しっかりしている人ほど、しわ寄せを食らっていて、損しているのではないかと感じることが多い。

私はそういうのが、好きではないので、世の中もっとお互いに謙虚になれるようにと思う次第である。

 

追伸:指定席なのに子供がうるさいといった不満を持つ方々もおり、指定席にうるさい子供がくることを望まない人たちもいる。それゆえに、指定席を予約するのを躊躇う人もいるようだ。子供優先の指定席を少し安めに売るなどして、うるさくても仕方ないかという環境を作り、気兼ねなく、指定席を予約してもらう工夫がいるのかもしれない。