P沼的プログラミング

PnumaSONの雑記

エンジニアになるということ

自分の訓戒やら記憶維持のためにとりあえず書こうと思う

 

エンジニアになるということ

私は物を作るのが幼いころから好きだった。

それは、LEGOで何かを作ることから始まり、なけなしのお小遣いを使ってロボットキットを買って組み立てることや、プラモデルを作ること、段ボールで動物を作ること、折り紙を折ること、本当にいろいろな材料で物を作るということをしてきたと思っている。

そんな中、プログラミングに出会ったのは前に書いたように、中学生の時だ。プログラミングはこれまでの工作とは異なり、パソコンさえあれば、材料はほとんどいらない、それでありながら、世界を一つ作ることができる、便利な道具をも作ることができる、魔法のように感じるものだった。

私は、段ボールや折り紙で物を作るときのように、プログラムで物を作ることにした。

あまり誇れるほどの物を作ってはいないが、それでも、ぼちぼち物を作っていたし、大学で勉強もしたし、そこそこすでにエンジニアだろうと思っていた。

だが、つい先日、これが間違いであったことを確信した。

どこかで見たブログにも似たようなことが書いてあった気がするが、私は好きに作りたいものを作っていただけで、本当の意味で、エンジニアというにはかなり遠いところにいた。

問題は、私はプログラムを利用して物を作っていたが、それは金銭的な点でも使い勝手という点でもちょうど手ごろでよかろうという理由だけで、もし段ボールで世界一つ作れるのなら、私は段ボールマスターになっていたかもしれないということだ。

それ自体は、夢を実現するための道具をどう選ぶかということなので、それほど責められる点でもないかもしれない。

しかし、それは安易に選んだ道具であって、私はその道具に対して真摯ではなかったと深く感じた。

例えば、書道家がどの筆を用いるか深く考えないだろうか。美容師がはさみを慎重に選ばないことがあるだろうか。答えは否である。

私は、単にそこに都合のよさそうなものがあるというそれだけの理由で、この道具を選び、そのままの意識でずるずるきてしまったのだと感じた。

単に素人が書道をする、髪を切る際には別にそれでも許されるだろう。しかし、プロになるとなれば、それではどう考えても問題だろう。

プログラミングは他の専門分野に比べて、(金銭的にも学習教材的にも)とても敷居が低い分野である。

だからこそ、プロということを意識しないまま進んできてしまう危険性が高いのだろうと思う。

また、IT企業の多くが即戦力を求めている様を見て、どうしても、動くもの、華やかなものの実装に意識を取られて、足元がおろそかになってしまうということもあるだろう。

だが、今一度、自分が何のために、何を用いて、何を作りたいのかを考えたいと思う。

プロフェッショナルになるためにも、製作物が最も良いものとなるように、用いる道具の選択から、真摯に考えていきたい。

 

 今後、エンジニアを目指す人たちが、すこしでも立ち止まって考えてもらえれば幸いである。

 

追伸:私はNode.js使ってますドヤァという会社を見ると、どうせまともに使いこなせてないだろと思い、目的に対する道具選びをまともにできてないんじゃないかとイライラとしてきたが、実際には自分もこういった企業と変わらず、「新しいから」とか、「手ごろそうだから」などという理由で道具を選んでいることに気が付いた。ちゃんと人の振り見て我振り直さないとダメだと感じた。